たたらパンへの道

会社を退職して農家パンを始めるまでの道のりです。まだ始まったばかり。

究極のパン

私の考える、心から健康なパンは、
自然栽培の古代小麦をじっくりと石臼で挽き、
培養時に無駄なものを入れない酵母を使い、
ミネラルの多く含まれた塩、
はちみつなどの天然の優しい甘味のもの、
平飼いで自然栽培の飼料で健康に育てられた鶏の卵、
山地酪農で自然放牧で育てられた自然の力溢れる牛の牛乳を使用して作る、究極のパンです。
それは多くの物語を持ち、健康で、なにより、美味しいパンだと考えます。

これをどこまで突き詰めてやっていけるか、
一生かけて作り上げたい。

スペルト小麦

f:id:tatarapan:20181128132132j:plain
スペルト小麦植えました。
まだ名古屋にいるので、次いくまで師匠に面倒見て頂きます。
来年の春に種として刈り取る予定です。
種を蒔くところからパン作り!
これぞ究極の手作り。

スペルト小麦は古代小麦の一種で、品種改良されてきた現代の小麦と違い、過剰にグルテンができないため、グルテンを避けたい人にとっては食べれる可能性のある小麦といわれています。
もしかしたら小麦アレルギーも起こりにくいのかも??
そもそも小麦アレルギーも、農薬や化学肥料も一因になっているのでは?と思っています。

もちろん、無農薬、無施肥でつくります。

そんなスペルトいったい味か?
食べてみなければと探してみたら、
愛知の女農業道という農家さんもスペルトを自然栽培でされていて、そこから小麦粉を購入しました。
丁寧に石臼でゆっくりと挽くことで、たんぱく質が損傷しにくいらしい。
小麦粉と、ちゃんとふすまも一緒に送ってくれました。丁寧にありがとうございます。

問題の味ですが、作り方にもよると思いますが、
少し普通の小麦とは違った独特の風味がありました。なかなか、これが癖になる(笑)
まだまだ要改善ですが、スペルト小麦粉でも普通にパンが作れることがわかりました。
f:id:tatarapan:20181128134842j:plain

みらいの農家の嫁です(笑)
f:id:tatarapan:20181128135003j:plain

始まりの始まり②

f:id:tatarapan:20181027142155j:plain]

その②なぜ農家に

きっかけは、3個あります。



きっかけ①彼女との出合い
きっかけ②店長農家に
きっかけ③夜勤は不健康


それぞれ説明します。

①彼女との出合い

 彼女は会社行事で出会った後輩で、名古屋と大阪の中距離恋愛のスタートでした。
非常に相性もよく、なんとやりたいこともそっくりでした。


自然と、将来を考えるなかで、やりたいことをすりあわせた結果、農家パンでした。


②店長農家に

 大学を卒業後もちょくちょく関係が続けていた、バイト先の店長が農家になったのも大きなきっかけです。

店長は卒業後に私のバイトの同級生と結婚し、
独立し、自分の店をされていました。


しかしながら、姪っこが小児がんになったのをきっかけに、様々な要因を勉強。その一つに、食品があるのではないかと考えたそうです。



添加物の多い加工品や、農薬のたくさんついた慣行農業の野菜、薬漬けにされ機械のように育てられた鶏の卵。少しずつ見直されてきてはいますが、当たり前に生き、当たり前に生活しておれば、自然と、それらを摂取し続けてしまいます。



これらの悪影響は、直ぐには表れず、子供へも受け継がれてしまってきるのかもしれません。
今の40代50代はちょうど子供時代にそういった食べ物を食べ始めた世代。その世代の子供たちや孫たちは、昔に比べると、アトピーやアレルギーに苦しむ子供が明らかに増えています。データはありませんが…


様々な要因はあれど、食生活との因果関係がある可能性も否定できないのではないかというのが、持論です。
そういった考えから、本当に安心安全な食べ物を、自分で一から作るのが一番信頼できると考え、
仕入れ先の無農薬無肥料の農家に弟子入りしたということです。色々と理由はあれど、シンプルに、
美味しいものを食べれる環境が幸せでもあります。


この店長の考えに賛同したことと、私たちのやりたいこととも重なったこともあり、農家になりたいと考えるようになりました。



③夜勤は不健康

 いまは改善されていますが、去年の春から年末にかけては、かなり長時間働きました。
夜、22時から夕方4時まで働いたことも多々あります。
遅刻なんてしたことなかったのに5回くらいは起きれず遅刻しました(笑)
休みは週二回あったからなんとかなりましたが、
おそらく相当寿命縮みました。



ふとしたときにね、
気付きました。
働かされてるから辛いんだと。
夜勤のしんどさもあるけど。



これまで必死にやってきたことも、
いつしかルーティーンワークになってしまい、
なにか新しくやってやろうっていう気持ちなんかなくなりましたね。
ただ早く帰るにはどうしたらいいかしか考えてなかった。
余裕がある今も、言い訳かもしれませんが、
なにか必要以上にやる気がないです。
休みだけが楽しみな状態になったら、働き甲斐が薄れている。
まさにその状態。

そこから脱却して、バシバシ提案して結果だして、会社よくしていく道もあったと思います。
ただ、そこまでの情熱がもうありません。
それに、現状のスタイルでの営業の限界が見えてますし、今から変えるとなると時間が掛かりすぎます。



それよりも、元から意識の同じメンバーのいる環境へ移る方が絶対ストレス無いし、楽しいと思いました。



無論今まで以上にやることも考えることも増えますが、環境は人を変えます。
特に私は、よくも悪くも回りに合わせがちなので、今の環境では、なかなか成長できませんでしたが、
環境を変えることで成長できると思っています。



 農家にはまだまだ改善の余地が多く残っています。
手間かけるとこはかけて、効率化できるとこは効率化して、新しい農業をつくる。
そして、今までの大企業に定年まで勤めあげるというかつてスタンダードだった幸せの代わりに、
なにか新しい幸せの形を作り上げていくのが、
我々過渡期を生きる世代の役割だと思っています。

始まりの始まり

f:id:tatarapan:20181027141645j:plain 

本日から目標への一歩として、ブログ始めました。
写真は私の幼少期、農業人生の始まりの瞬間(かもしれない)

 私は現在の職場を退職し、香川県に移住し、農家パンをやりたいと考えております。

そもそもどうして、パン屋に就職し、その後農家パンをしたいと考えるようになったのか。今回のテーマはこれで。



その①なぜパン屋に




 高校は田舎の進学校。部活の野球も万年補欠、勉強もついていけず成績は真ん中よりやや下くらい。
常に劣等意識に悩み、人間関係は下手くそでした。
そんな中でも良くしてくれた友達は数人いて本当に感謝です。

 その後公務員になろうと法学部を選択。試験の出来から学費の安い香川の大学へ入学しました。
大学時代は、結局、下手くそな野球を諦めきれず、中レベルくらいの準硬式野球部に入部することに。

部という組織をいかに良くするか、強くするか。自分たちなりに試行錯誤していくなかで、色々な学びがありました。初めてみんなと野球できて楽しいと思えたのもこの時。


 また、アルバイトは、まかない目当てで居酒屋へ。
色々と未熟でなんと2ヶ月程でクビに(笑)
しかしながら、がんばっとると言ってくれた社員さんの紹介で他の居酒屋へ。


そこの店長さんは、自分の可能性を見抜いてくれ、厳しくも、厳しくも、厳しい、そして芯のある教育で、私を育ててくれました。
お陰様で、そのバイトを通して、もがき苦しみながらも一回りも二回りも人間的に成長できたと思います。


 勉強の方は…
それなりに…留年しない程度にはしてましたが(笑)


就活の時期になると、色々悩んだ結果、
安定に生きるよりも、攻めていこう、好きなことやりたいと決意し、公務員ではなく、一般企業へ。

そのころ順調に続けていた居酒屋バイトでは、まかない担当になっており、食を通して喜んでもらえる喜びと楽しさに気付き、食品企業を。
自然栽培や、添加物の危険性の本を読み、感化され、添加物の無添加政策に取り組む会社にエントリー。
料理も出来るということで、現在の会社に就職しました。


配属時の希望は料理かパンか接客、4:4:2の割合で提出。結果、パン部門に。
だから、始まりはパンにこだわりは皆無でした(笑)




就職してからは、
自分は、積極性が欠けているから、とにかく挑戦だと、あらゆる研修に参加させてもらったり、自分でもパン屋や料理屋さんを訪れて勉強したりしました。
人を喜ばせる勉強だとエンターテイナーのプロ、プロ野球を観戦したり、音楽ライヴに行ったりしたのはちょっとこじつけかな(笑)


また、パンのワールドカップへの挑戦や、フランス研修での学びはいつか書きます。


しかしながら社内レベルでは高い意識で仕事に取り組んできたつもりですが、
一歩外から見たら、それなりでしかなく、今一つ突き抜けるものが足りなかったのかなの反省しています。


次回は、その②なぜ農家に